マルトノマの滝で起こったことを、結局ヴィクトリアには話しませんでした。 彼女は特にスピリチュアルなことに興味があるわけではなかったのです。 それに、なぜか分かりませんが、話してはいけないような気がしたのです。 でも、ちょっとびっくりすることもありました。 ある日、彼女に「トシは純粋な日本人なの?」と聞かれました。 「もちろんそうだよ。」と答えると、 「私は、ママはネイティブアメリカン。そしてパパはアイリッシュなの。」と答えました。 びっくりしました。 今まで、純粋な白人だと思っていたヴィクトリアに、ネイティブアメリカンの血が流れていたのです。 (また、アイルランド人も20世紀初頭のアメリカ合衆国では、白人とはみなされていなかった歴史があります。) 「だから、この国では少しだけマイノリティなの。」寂しそうにそういいました。 「でも私の体に流れているネイティブアメリカンとケルトの血に、誇りを持っている。」 顔をあげてそう言いました。 そう言えば、南部出身の運転手のお爺さんは、 会話のなかで露骨にネイティブアメリカンをけなしていました。 普段、とっても人のいい爺さんなのにです・・。 この国にはそういった深い問題が、まだ解決されずに残っていること感じました。 また、わずか1ヶ月の滞在でそういう話に直面するとは思ってもいませんでした。 「僕は、ネイティブアメリカンとケルト、両方に興味があるんだ。」 そういうと、ヴィクトリアはとても嬉しそうな笑顔をしました。 「でも私は風の声を聞いたり、小川のせせらぎから神様の声を聞いたりできないわ。 日本人のトシにはできるの?」 そう聞かれ滝のことを話しそうになりましたが、飲み込みました・・・。 私が帰国する日が、近づいてきました。 そうなると、ヴィクトリアともお別れになってしまいます。 ある日桧山氏が、耳元で 「ヴィクトリアに日本までの航空運賃や、就労ヴィザについて聞かれましたよ。彼女、本気ですよ。」 と耳打ちされました。 彼女がそこまで考えていることにびっくりしましたが、嬉しくもありました。 ただ、そこまでの彼女の気持ちを、受け止めることができるかどうか考えたとき とても重い気持ちになりました。 幼い子供を連れて異国で暮らすのは、相当難しいことです。 さらに当時の私は、まだ学生時代から続けて住んでいる、 渋谷のボロアパートで生活していました。 彼女を呼ぶのは不可能です。 そんな私の気持ちを知ってか知らずか、ヴィクトリアはとても元気に振舞っていました・・。 帰国の前日は土曜日でした。 ヴィクトリアは、キャンパスの事務所で、誰かに電話して、何かを一生懸命に話していました。 (私の英語力では聞き取れませんでした。) 桧山氏がにやにや笑いながら、 「彼女、車が故障したから今日は泊まりに行けないと言っていますよ。相手はたぶん彼氏です。」 そう言いました。 彼氏がいたのにもちょっとびっくりしましたが、 車が故障したというウソ!にもっとびっくりしました。さっき自分の車で買い出しに出ていましたから・・。 受話器を置くとヴィクトリアは、私に向かって 「今夜キャンパスの会議室で映画を見ない?とってもお薦めの映画のがあるの。」 と言ってきました。 さらに桧山氏にむかっても 「トシの旅の思い出に見せたい映画があるから、夜、会議室借りていいですか?」 と言いました。 桧山氏は苦笑いを浮かべながら、OKを出していました。 桧山氏は私の所へ来て 「トシさん、あなたが嫌なら、ヴィくトリアの誘いは断ってもいいですからね。」とささやいて去って行きました。 「据え膳食わぬは、武士の恥」という、あまり嬉しくない言葉が頭の中を駆け巡りました。 いよいよ奥手の私でも動かざるを得ない状況です。 こんなに気に入ってもらっているに、 今更断ってしまっていいのかという気持ちもありました。 過去世で母親であったとしても、今生では他人です。 自分の配偶者が過去世では親だったというのは、精神世界ではよく耳にする話です。 今後、たぶん一人の女性として愛せるだろう、そう思いました。 次回はいよいよクライマックスです ![]() ![]() |
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