ヒマラヤ四大聖地巡礼の思い出23

車はいったんヒマラヤを下り、その後再び登り始めました。 最後の聖地バドリナートまでは、舗装道路が続いているとのことで、 がけ崩れがなければ、翌日には到着できそうな状況でした。 ジョシマットというとても気持ちのよい山村の街で一泊することにしました。 早く到着してしまい時間があったので、 街の中を歩き回りました。 …
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ヒマラヤ四大聖地巡礼の思い出22

ケダルナート寺院に詣でたあと、近くにある シャンカラチャリア(8世紀にヒンドゥー教のヴェーダーンタ学派を創始した聖者)が 遷化した場所をたずねました。 巨大なモニュメントがあり、そこの横に座りムドラー(印契)を組んで、 意識を内側にむけました。 瞑想するというほど、集中していたわけではないのですが、 何だかわ…
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ヒマラヤ四大聖地巡礼の思い出21

第3の聖地ケダルナートへの道は厳しかったのですが、 歩きやすいように道が整備されていたいたため、キツさは半減しました。 しかし、インド人巡礼者の数はものすごく多く、 登り始めは日曜の新宿アルタ前位の人口密度で人がいました。 ここはインド人にとってものすごく人気のある聖地なのだと実感しました。 そういえば、このときか…
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ヒマラヤ四大聖地巡礼の思い出20

ガウリークンドはとても気持ちのよい集落で、 朝も気持ち良く目覚めることができました。 朝6時、集落の名前になっている、温泉で沐浴をして準備に入りました。 真黒なお湯が、溜まった沐浴場は清潔とは言い難く、 入るのに勇気がいりました。 ちなみに、「ガウリー」はシヴァ神の妻であるパールバティー女神の別名です。 …
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ヒマラヤ四大聖地巡礼の思い出19

食事を摂ったシュリナガルという場所は標高670メートルで 気温は30度ほどでした。 朝出発したガンゴトリーは標高3000メートルを超えていて 出発時の気温は0度だったので、かなりの差がありました。 この後、ケダールナートに向かってまたヒマラヤを登っていくわけです。 標高差はそうではなかったものの気温差はこたえました{%泣く…
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ヒマラヤ四大聖地巡礼の旅18

初めてのゴームクの滞在時間はほんのわずかでしたが、とても満足しました。 しかし、後年何回もここを訪れることになるとは、このときは想像もしていませんでした。 帰りもボージバーサに宿泊しましたが、いろいろな国の人たちが宿泊していて、国際色豊かでした。 ドイツ人の元気なおじいちゃん、イスラエルから1人旅してきた女の子、ブータンか…
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ヒマラヤ四大聖地巡礼の思い出17

いよいよゴームクが間近に見えてきました。 近づけば近づくほど、迫力が増し、氷河がビルのようにそびえています。 その氷河の中心に穴がぽっかりと開いており、そこから川が流れ出しています。 ここがガンガー(ガンジス川)のスタート地点になります。 頭上にそびえる氷河からは氷のかけらがひっきりなしに落ちてきます。 この氷…
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ヒマラヤ四大聖地巡礼の思い出16

チャマンが私のことを「ナルセグルジーの弟子です。」と紹介すると、 オーム・ギリは威厳のある顔から急に笑顔を作ると入るように手招きをしてくれました。 中にはなんと日本人がいました。オーム・ギリの弟子でOさんという方です。 こんなところ!に滞在している日本人がいるのにびっくりしましたが、当時Oさんは当時29歳で、 32歳の私と年…
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ヒマラヤ四大聖地巡礼の思い出15

ガンゴトリーで3日間体を慣らし、ゴームクへ向けて出発しました。 歩き出してすぐ、体が重くなり息が上がりはじめました。 生まれて初めての3000メートル越えなので、体がびっくりしているのがわかりました。 しかし、当時はまだ32歳と若いせいもあって、すぐに体は慣れてきました。 途中何箇所もある、茶屋でこまめに休憩をとりつ…
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ヒマラヤ四大聖地巡礼の思い出14

第二の聖地ガンゴトリーにはこのとき3日間滞在しました。 ここからさらに歩いて2日の位置にあるガンジス川のスタートポイントである ゴームクを目指すためです。 今でこそ、ガンゴトリーを素通りし、ゴームクまで1日で歩くようになりましたが、 当時は高い山に登った経験もなく、高山病対策のため十分な時間をとったのです。 初日はガン…
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ヒマラヤ四大聖地巡礼の思い出13

がけ崩れポイントを走って通りぬけると、 やはり向こう側にはたくさんの車が立ち往生していました。 そして、幸いなことにジープを1台チャーターすることができました。 ただし、相乗りです。ベンガル人と思われる親子(父と3人の息子)が一緒でした。 話しかけると、父親も10代と思われる3人の息子も、目を大きく見開いて、 びっくり…
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謹賀新年とヒマラヤ四大聖地巡礼の思い出12

あけましておめでとうございます。 私の主宰する「ガネーシャ・ガンガー」も3年目を迎えることができました。 今後ともよろしくお願いいたします。 http://ganeshaganga.com/ ガネーシャ・ガンガーのイベントではないのですが、1月16日(土)に行われる、 シタール奏者チャンドラカント博士のコンサー…
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ヒマラヤ四大聖地巡礼の思い出11

車はどんどん高度を下げていき、同時に気温もどんどん上がってきました。 いったん下がりきって、少しあがった所が、その日の宿のある ウッタルカーシーでした。 「北のヴァラナシ」と呼ばれるこの地は、リシュケーシュと並んで、 私がヨーガを始める前(10代のころ)から名前を知っていた街です。 「夢の聖都」と思っていた街の中心地は…
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ヒマラヤ四大聖地巡礼の思い出10

ヤムノトリーからの下りは、馬は止めて徒歩にしました。 最初の宿はジャンキーチャッティーという集落でとりました。 その当時は電気が来ていない集落だったので、ロウソクの灯りで夜を過ごしました。 真っ暗でしたが、静けさと星空の美しさは筆舌に尽くしがたいものがありました。 星空を写真におさめられなかったのが残念です。 子供のこ…
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ヒマラヤ四大聖地巡礼の思い出9

ヤムナー川の源流は祭壇のような形になっており、 そこでパンデット(ヒンドゥー教の学僧)にマントラ(真言)を唱えてもらい祈りをささげた。 この場所(源流)は暖かい川(温泉?)と冷たい川の2つの川が合わさって源流となっており、 冷たい川のみの源流はもう少し上流とのこと。 しかしこの場の雰囲気がとても私に合っていたので…
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ヒマラヤ四大聖地巡礼の思い出8

馬は順調に進み、標高はどんどん上がっていった。 途中目もくらむような高さの渓谷にかかるつり橋も渡った。 私は実は高所恐怖症なのですが、こういう巡礼で神聖な!?気持ちに浸っているときは あまり恐怖を感じないのです やがて、第一の聖地ヤムノートリーが見えてきました。 ゴームクへいったことの…
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ヒマラヤ四大聖地巡礼の思い出7

馬子の親子の親爺の方がチャマンの馬の手綱を握り、 小さな男の子が、私の馬の手綱をにぎった。 馬に関しては、私は1994年に仕事でアメリカのオレゴン州に1ヶ月滞在していたときに 地元のカウガールから毎日乗馬の手ほどきを受けていた。 そのため(初対面の馬に馬子なしでは乗れないとしても) リラックスして乗ることには結構自信が…
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ヒマラヤ四大聖地巡礼の思い出6

たしかラナチャッティという小さな集落だったと思いましたが、 ダラムシャラー(巡礼宿)泊まりました。 日暮れまで時間があったので、集落を散歩してしていると 子供たちが30人!!ほど集まって後をついてきました。 たぶんこの集落の子供全員でしょう。 振り返ると蜘蛛の子を散らすように逃げてしまうのですが、 またすぐついてきます。…
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ヒマラヤ四大聖地巡礼の思い出5

最初の昼食はテーリーという街で摂った。 雨はしとしとと降りしきり、まだ標高は高くなかったが結構寒かった。 ハリドワール以北のヒマラヤは、基本的にヴェジタリアンの食事しかない地域なので 当時から肉・魚が食べられなかった私にとってはかなり嬉しい状況でした。 (もっともインドはヴェジタリアンが多いので、インドに入国するだけでも食事…
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ヒマラヤ四大聖地巡礼の思い出4

ガイドのM氏が倒れて、私は頭の中が真っ白になりましたが、 それはおそらく一瞬のことだったと思います。 幸いにもM氏はすぐに意識を回復しました。 しかしすぐに動ける状態ではなく、ホテルのスタッフが介抱にあたりました。 とりあえず、「後はこちらで何とかしますので、部屋に入ってください。」というホテルのスタッフの言葉に 促さ…
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